白昼夢中遊行症

2024-008

デュルケームの『自殺論』の序文を読む。 わたしの悩みも、心だなんて捉えようのない曖昧なものではなく、社会的な実在として扱うことができるのだろうか。そうだとして、それによって説明が与えられることが、わたしを救うことはありうるのだろうか。

被災地への、賞味期限切れ物資支援についての記事を読む。 賞味期限や消費期限というものは、もとは製造者が自分の責任の範疇を定めるものではなかったか、と思うのですが、どうやらこれを過ぎてしまうと絶対に食べられないと思っている人がいるらしい。 自分が食べるものが安全かどうかは、自分で観察して判断を下すべきはずなのですが、自分の体について責任を背負い込みたくないのでしょう。人類が文明に毒されている、と反文明主義者に批判されてしまいますよ。 エジソンは人類に物質的な豊かさを与えはしたものの、その代償におおらかさを奪っていってしまいました。

もし現代のような文明がない世界に生まれ落ちていたならば、わたしにとってこの世はもっと生きやすかったかもしれません。いや分かりません。しかし文明は人間から、それに寄りかからないで生きる力を奪ってしまった。これは本当に思えます。いまや人間は、それを維持するために躍起になっている。文明に生かされ、文明のために生きている。