白昼夢中遊行症

断想

今日はいい天気で、暑くもなく寒くもなく、風もそんなに強くなく、生きるのに適している。

こんな日には外を出歩きたいものだが、そういえば最近、散歩をしていない。あてもなく外を出歩くことが自分にとって欠かせないものだと思い込んでいた時があったが、こうして欠かしていたってどうにかなるものなら、別に散歩というのは僕にとって特別な位置をしめるものではなく、散歩なしにでも僕という人間を語ることができるようだ。しかし、僕という人間を語る時、一体何を引き合いに出して語るのだろう。僕にとって欠かせないものとは一体なんだろう。僕は何をして生きてきて、僕という人間を作る第一の要素というのはなんだろう。僕を形作る習慣は、嗜好は、趣味は、一体僕はなんによって語られるべき人物なのか。その自堕落な生活、先延ばし癖、手抜き癖、しばしば現れる自暴自棄な言動に、僕という人間は詰まっていて、つまるところ僕は碌でもない人間で、僕は、それによって自分を語るしかないのだが、見栄がそれを許さないから、言葉に詰まる。だけど、お前は誰かと問われ、それに沈黙で応えようなら、それは先に述べたような事柄を自白しているのと同じことではないか。すなわち自堕落で投げやりな、それでいて保身的な人間であると。

今日は危うく授業に遅刻するところだった。今回は間に合ったけれど、こうしたことを繰り返しているうちにいつかまた、もういいやと、家に引きこもることになるだろう。

もういいや、おれの人生なんぞ、こんなものだったんだよ。というのは早速の自暴自棄の現れで、それに気づくのに寸分かかるのがもう、自分がその性分にすがっていることの現れで、その通り、おれはこうした自分をうまく利用して楽しようとしてきたんだ。言い訳にはよく口の回るやつなんだおれは。

今日も面倒なバイトの時間が近づいてきた。出勤数を減らしはしたが、できることならもう一切働きたくない。しかし、現状を大きく変えてしまうことを恐れて、今日もいつも通りの装いで家を出るのだ。