白昼夢中遊行症

断想

おれはなぜか現実の世界では本好きということになっているが、実際のところは疑わしい。そもそもおれが本を読むようになったのは中学生になってからくらいのことだったと記憶している。それまでのおれは活字なんてさっぱりの人間だった。

……のだろうか。

おれには過去の記憶がほとんどない。ほとんどないといって、それがどのくらいないのかなんて言い表すことはできないけれど、なんだろう、おれには思い出というものが不足している。原体験というものがおれにはない。だから、今のおれの根っこをたぐってみようとしても、それはごく浅いところで終わる。

連続した自分がある、なんていう感覚が希薄なのだ。かといって、どこで断絶があるというわけでもない。おれには昔からの習慣というものがないし、趣味嗜好もコロコロと変わるし、それらが残していった遺産なんてのも一切ない。おれにはアイデンティティとなるものがないのだ。そこで何がおれの同一性を担保してくれるかといえば、おれの書いた日記くらいなのだ。日記を書き始めたのもごく近年のことだけれど、日記のある範囲内であれば、そこに自分というものを見つけ出すことができる。

できるだけ多くのことを残しておきたいと思う。せっかくならばあとから見返したときに、そのとき感じたこと、考えたことを追うことができるように、偽らないで残しておきたいと思う。今からおれのルーツをたどることができなくとも、10年、20年後におれのルーツをたどっていけるように。