白昼夢中遊行症

灑涙雨

7月7日は七夕らしい*1。織姫と彦星は七夕の夜だけ会えるといわれるが、夜は半分が翌日で、7月8日はもう七夕ではないから、「七夕の夜」ではなくなるだろう。すると彼らが会える時間というのは本当に短いものだと思う。夜、いつからが夜なのだろうか。いまの日没の時間はだいたい19時すぎで、その時刻からが夜だとすると、4時間あまりしか会えないということか。いや、「七夕の夜」が7月7日の夜だというなら、7月7日の0時00分から、日の出の4時半過ぎくらいまでも会えるのか。つまり、彼らは4時間会って、いったん別れて13時間ほど後に、もう一度4時間顔を合わせて、じゃあまた1年後というわけか。そう考えるなら、なんだか気まずくないか? いやまあ、一年ぶりに会ったときにはまあ、恋人であってもそうでなくともなんだか感極まることだろう。しかし、そっからいったん別れて、なんだか冷静さを取り戻すまでには十分な時間をおいた後、また会うってのはたとえ一年越しに会った恋人であってもなんだか気まずくないか? おれが恋をしたことがないからそう思うだけか? おれがロマンチシズムを解さない人間であるからそう思うだけか?

いや、「七夕の夜」を「7月7日の日が沈んでいる時間帯」と考えるのが間違いかもしれない。「七夕の夜」は「7月7日の日没から夜明けまで」と考えるのが正しいのかもしれない。そうであるなら、先に述べたような気まずさの問題というのもなくなって一件落着。やれやれ、といいたいところだが、夜というのはどこの夜なのだろうか。「夜」というのを「ある地点での日没から夜明けまでの時間帯」と仮定したとして、どの時点での夜を基準として織姫と彦星は会うのだろうか。JSTか? CSTか? それとも、世界基準にUTCか? しかし、こんな人間の物差しで見てはいけない。会うのは織姫と彦星なんだから、彼らの時間基準での七夕の夜に会うのにちがいない。とすると、彼らにとっての夜というのはいったいいつなんだろうか。そもそも彼らはどこにいるんだろうか。彼らは銀河の星々の煌めきを川とするような世界に生きているらしい。そんな規模の世界に昼とか夜とかあるんだろうか。いったい何を基準に一日を刻むのか。時の流れを日とか月とか年とかの単位で区分する基準がないのなら、暦というのはどうやって存在することができるんだろうか。暦が存在し得ないなら、七夕なんてのももちろん存在することはできず、したがって、織姫と彦星の再会なんて夢のまた夢。会いたければ時間の流れに何らかの単位を与え、暦をつくるところからはじめなければならない。

いや、もしふたりががずる賢いやつなら、基準としての太陽を定めず、時の流れをまったく区分せずただ一日が続くような暦をつくるかもしれない。そして、昇るべき太陽も何もないのだから、この世界はずっと夜が続くんだと主張するかもしれない。そうすれば、その一日を7月7日と定めて、ずっとふたり一緒にいられるではないか。

ならばこの雨は、会えないことを嘆く涙なんかじゃなくて、再会を喜ぶ涙でもなく、色恋ごとにかまけた織姫が機織りを怠ったために着るものを失った人々の、そして同じくして彦星に見捨てられ病気になった家畜どもの涙ということか。どおりで土砂降りなわけだ。

*1:陰暦では2020年7月7日は5月17日らしいけど。そんで灑涙雨は陰暦の7月7日(もしくは7月6日)に降る雨のことを指すらしいから2020年8月25日(もしくは2020年8月24日)の雨らしい。