白昼夢中遊行症

もうそんなに捨てる服もない。

またまた服を捨てた。もうそんなに捨てる服もなかったので、20リットルくらい。ファストブランドの服はワンシーズン着たおしたら、もうくたびれきっている。くたびれきっているが、ワンシーズン着たおした服は、ワンシーズン着たおしたという実績がある。つまり、それだけ気に入っていたということだ。そういうわけで、なかなか手放せず、ちょいちょい着てみたりもしていたのだが、くたびれているのが遠目には見えなくても、着ている自分にはわかってしまう。くたびれきった服を着ている自分に気がつくと、なんだか気分が乗らなくなってくる。暗めの色のシャツの色落ちとか、コットン・フランネルのシャツの毛玉とか、そういうのを意識すると、ちょっとしょんぼりしてしまう。それに、ここまでくたびれているのに捨てないのもおかしなものだと考え直して、捨てることにした。そのついでにほかの服も、もうちょい捨てた。

おれはいつも服を燃えるゴミで捨ててばかりいるが、聞いた話によると、そういうのはNPOとかそういう団体に寄付して、世界の恵まれない子どもたちにまわす、という選択肢もあるようだ。しかし、おれはそれをしない。おれがそれをしないのは単純に、それをする手間を惜しんでいるからだ。そこに一手間あるせいでものを手放すことが先送りになってしまい、結局なんだかんだで手元に置いたままにしてしまう。そうしたことが何度かあって、もういい加減にしたいと思ったのだ。そもそも世界の恵まれない子どもたちになんとかしてあげたいという気持ちがあるのなら、すでに何らかの行動を起こしていてもいいはずだ。それこそ、服を送ることが支援になるとどこかで見聞きしたときに、ただちにそれを行動に移しているはずだ。それを面倒だと思うということは、おれは別に世界の恵まれない子どもたちの力になりたいと思っているわけではないのだ。実際、そんなに思っていない。おれは自分がここに存在しているということさえあまりリアルに感じないというのに、どうして遠く離れたところにいる知らない人の苦しみをわが苦しみとして感じ、どうにかしたいと思えるのか。そういうのは、また別の人にお任せしよう。

自分にとってまずなんとかしないといけないのは自分自身だ。そして、自分自身をなんとかする一環として自分の持ち物を手放しているのだ。だからおれは自分にとって一番やりやすいやり方でそれをする。

そういや、先週には衣装ケースを一つ手放した。市では衣装ケースは粗大ゴミに指定されていたので、衣装ケースとはいえない程度に解体して燃えるゴミで出した。無事回収されていったらしい。先ほど所定の場所に持っていった袋も、おれが寝ている間に回収されていくだろう。あるいは、着るものに困った近所の見知らぬ誰かが持ってかえるかもしれない。それはそれで悪くない。おれはもう手放したのだから、どうにでもなればいい。

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GOOSE IPA

なんか、IPAにしてはパンチが足りないような気がする。けっこうすっきりめで、IPAというよりもペールエールって感じの味がした。正直、いままで飲んだIPAではっきりと味を覚えているのはインドの青鬼くらいしかないが、インドの青鬼より万人向けだと思う。逆に、パンチの効いたものをとなったときには、やっぱりインドの青鬼が一番手軽だと思う。でもまあ、これはこれで悪くない。