白昼夢中遊行症

断想

ここ最近、たまらなく眠たいのだが、どうやら眠り方が分からなくなってしまったようで、眠ることができていない。いや、実際には、ある意味での眠りという状態に、毎日6時間前後身を置いているのだが、不十分・不適切な仕方でしか、眠っていないような気がする。実際、ここ最近物忘れがひどくなったし、注意力も落ちた。職場で荷物を置くロッカーの場所を毎日のように忘れておろおろするようになったし、今日も、必要なものを机に置き放しにして出てきた。それに、ここ最近はろくに目が見えない。何かを注視することが、どうしてもできなくなっている。まずピントが合わないし、そのうえ視界が白くかすんでいる。まあ、見たくないものを見なくていいのだから、悪いことばかりでもないのかもしれないが、不便なものは不便だ。この世の中は、何も見ないでやっていけるようにはできていない。見えにくい程度の自分でこれなのだから、まったく目が見えなければ、ずいぶんと生きにくいだろう。それでも生きていけるのは、自分の中に何か、しっかりとした重心があるからだろう。知らんけど。わたしにはそれがないので、生きにくくなればもう、死ぬことしか考えられない。今日もぼんやりと死ぬことを考えていた。普段は、死ぬことについては消極的なのだが、こういうときはらしくもなく、積極的になる。積極的に死を肯定的なものとしてみなそうとするけれど、いや、よく考えたらべつに実際にそれを実行するでもなく、本当は死を積極的に肯定してもおらず、ただただ、生きることへの否定が高まっているに過ぎず、それも積極的な否定ではなく、消極的な否定だ。わたしが何かに前のめりになったことなど、あっただろうか。まったく、心当たりないな。とにかく、今日くらいは眠っていたかった。昨日は祝日らしかったけれど働いて、その代わり、というわけでもないんだけれど、今日は一日休みだった。休みなのだったら、ちょっとくらい眠っていたかった。無理に起きてきたから、今日はずっとぼんやりしていた。ある事情から必要な手続きを、今日しようと思っていたのだが、必要なものを忘れて出てきたので、何もできないのでぼんやりしていた。そのほかに何かをする気も起きなかった。何もできないなら、せめて眠っていたかった。できることなら、あと20世紀くらい眠っていたいのだが、それができないならせめて今日くらいは眠りたかった。