白昼夢中遊行症

私のことばかり

今日、少し先にひとつの別れがあると知った。

思えば、だれかとちゃんとした仕方で別れるということを、私はしたことがなかった。

去っていく人を見送るときに、その姿が見えなくなるまで手を振ることなどなかったし、私が去るときはいつでも、前もって誰かにそれを告げることなく、夜逃げのように去っていった。

そもそも「別れ」という言葉に値するほどの人間関係を結んだことさえほとんどない。だから、私には来たる別れというものを、受け入れるべき心構えというものが、すっかり欠けていた。

私に誰かを見送ることができるのだろうか。私はちゃんと別れを告げることができるのだろうか。私は、このような私中心のものの見方を、排することができるのだろうか。そして誰かの幸せを、心から願うことができるのだろうか。

私は溢れた人間だ。私は拒絶された人間だ。私は必要とされなかった人間だ。だからこそ私は、今いるこの場所で、私を全うするべきだ。

そうなのだろうか? もし、もう少し巡り合わせが違っていたら、これと真反対のことを考えていたかもしれない。私は偶然によって組み上げられており、あるべき姿というものはない。私は拒まれなかったかもしれない。そうだったとして私は、今いるこの場所、そこにあるものや仕事、そして人々を大事にしようと思っていただろうか。私は、どんな場合においても、誰かの悲しみを理解し、誰かの幸せを心から願えるような人間でありたい。しかし、私はちっともそうではないのだ。困ったことに。私は今でさえ、激しい憎しみに駆られている自分があることに気がつく。そして私はまた、私のことばかり話していることに気がつく。私はやめなければいけない、なによりもはじめに。「私は」などと言うことを。