白昼夢中遊行症

ad libitum (about life)

「おれは逃げるのだけは得意だから。だから人生も逃げてきた」と誰かが言った。

人生って何なんだろうな。

それについて考えると悲しくなる。

おれはいつからこんなことについて考えるようになったのだろう。

人生の困難について考えながら生きる人生は困難だ。

「人生は短く芸術は長い」という言葉が、予測変換で出てきた。

おれにはそのことがピンとこない。

人生は短いのか? 芸術は長いのか?

おれにはよくわからない。

おれには人生がよくわからない。

人生について考えることの困難に、向き合って生きる人生は困難だ。

だからほとんどの人たちは、なんとか早合点しようとするのだ。いや、しようとしなくても、自然とそうできるものなのだ。

一部、そのような機能がうまく働かなかったり、壊れてしまった人がいる。壊れてしまった人間が生きるには、いったいどうすればいいのだろうか。

おれは、自分の親の人生について考えてみる。

親の誕生、子ども時代、ジュブナイル、結婚して、子供が産まれて、子供が育って、親の親が死んで、子供に先立たれて、そして死。

これはひとつの可能なストーリーに過ぎないし、解像度も低いボケボケのものだ。その中に、さらに細々とした出来事が連なっているものだが、なんというか、とくに後半になるにつれて暗くどんよりとしたトーンになっている。しかもそれを際立たせるのは、幸せな子ども時代の存在だ。いつかの親戚の集まりで、親の子ども時代の思い出話を聞いて、おれはどうしようもなく悲しくなった。何が悲しいのかわからないまま、ただどうしようもなく悲しくなった。

ああ、こんなこと、考えずに済むのならそうしたい。

なんでこんなこと……辛いばっかりなのに。

生きることは悲しい。

別れのない出会いなどない。そう考えると、悲しい出来事のほうが人生には圧倒的に多いわけだ。

それは世界全体を見てもそうだ。

心を尽くして育てた子どもたちが、まるで紙屑みたいに殺されている。戦争なんてのは狂っている。構造的に戦争を肯定せざるを得ないこの人間の社会もまた……

ああ、眩暈がするようだ。

人生について、考えたくはない。

逃げてしまうのが、やっぱり得策だ。でないと、耐えられたものではない。そうだろう?