白昼夢中遊行症

断想

日記を書いたり、書かなかったりしています。
この習慣がついたのはいつからだったでしょうか。

この習慣がついて以来、わりかし長いように思います。わりかし長い期間、わたしは日記を書いたり書かなかったりしてきました。

紙のノートに書いていた時もあれば、Evernoteを使っていた時もありました。マークダウンを覚えてからは、PCのマークダウンエディタを色々試しながら書くようになりました。

紙に手で書くこと自体の心地よさを忘れられず、紙のノートに戻ったことも、幾度となくありました。今はもう、長いこと紙のノートを使っていませんが。

日記を書いたり、書かなかったりしてきましたが、わたしはそのたびに心機一転、過去の日記をどこか深いところに押し込んでしまいます。

探せばすぐに見つかりますが、それでも押し込んでしまったものを掘り返そうと思うことは、そうそう多くありません。

なので、わたしは日記を書いたり書かなかったりしていますが、自分の日記をそれほど読んでいません。いや、いまは私はそれほど読まないようになっている、ということかもしれません。

よく、自分の書いた日記を読み返していた時期もあったようにも思われますし、そうでもなかったようにも思われます。が、少なくともいまのわたしは、長いこと日記を読んでいません。

なんというか最近は、読み返す気になるような日記を書いていないのです。なので、それ以前のものも読み返す気にならないのかもしれません。

なんというか、これは何度もこぼした記憶があるのですが、日記を書くことの何気なさが、わたしから失われてしまったように感じます。

べつにいまも昔も、うまく書いてやろう、みたいな魂胆を持っていた時期はないのですが、それでも何かが変わってしまった。という感じがするのです。

それは生き方もそうなのかもしれません。昔はもっと、力を抜いて生きていたように思います。いまだって努力と言える努力など、全くしていないのですが。

でも、なんだか強張っている、ような感じはたしかにします。昔に比べて頭でっかちになった、というのはあるかもしれません。

それに比べて、運動は全然しなくなりました。毎日スポーツをしていた時期が、いまでは信じられません。

昔はよかった。

そういう思いにとらわれることは、毎日、一度や二度のことではありません。

というわけでもありません。日によります。

それに引き換え、明日は真っ暗。その先なんてもう何が何だかわからないけど、とにかく絶望的だ。

これは毎日10回以上は思います。

思えば、そんな絶望というか、不安と無縁だったのかもしれません。なんだかんだ、うまくいく。そう思える余地は常にありました。

でも、べつにだからといって、日記の書き方に影響するのでしょうか。いえ、あるのでしょう。

何気ない日記というのは、日々の暮らしの何気なさに由来するのではないでしょうか。いまのわたしは、何気なくはありません。

呆けているか、何かに追われているか。そのどちらかです。そのどちらにも、何気ない瞬間というのはありません。

何気ない瞬間がなければ、何気ない思いつきもなく、何気ない思いつきがなければ、何気ない言葉もなく、何気ない言葉がなければ、何気ない日記は書けません。

わたしは日記を書いたり、書かなかったり、その習慣を続けてきましたが、あり方が一様であったわけではありません。

とするなら、その習慣は別のものに数えられるのかもしれません。

しかし、過去の日記と現在の日記を結びつけるものがひとつだけあります。ひとつだけではないのかもしれませんが、そのほうがわたしの気分が乗るので、そう言わせてください。日記帳です。

日記帳といってもいろいろあります。が、過去と現在を結びつけるのであれば、それはまとまりを持っていなければなりません。紙切れでは駄目ですが、製本されたノートならいい。EvernoteとかNotionとかのウェブサービスでもいいですし、ブログなんて、ちょうどいいんじゃないですか?

ここに何か書けば、いまのわたしの日記は、同じ日記帳に書かれているものとして、昔わたしがここに書いたものに結びつきます。それはもう、否応なく引っ付きます。

わたしは、ここに日記を書いたり、書かなかったりしますが、そうする理由もここにあると思います。

という話は、わたしのこの日記を昔から読んでいる人は、耳にタコができるくらい聞いたのではないかと思います。そのような人がいるとは思いませんが。

とにかく、わたしはわたしと結ばれたい。その思いで、ふらふらとここに戻ってきて何かしら書くのです。何かしらといっても、何気ない話題がないので、ずっと同じことを書いたりするのです。

ブログに求めるものというのは人それぞれだと思います。わたしは、わたし自身との結びつきを求めています。このブログに書き始めた頃は、そうでなかったかもしれませんが、いつしかそうなりました。

もしかすると、わたし自身と結ばれたいというこの思いもまた、過去現在のわたしたちを結びつけるものとなっているかもしれません。

そして、そうして結び付けられているという実感は、どうしてかわたしを慰めてくれるのです。どうしてなんでしょうかね。いまのわたしには、わかりません。

わたしは、日記を書いたり書かなかったりします。紙に書くこともあれば、携帯のメモ帳に書くこともある。ここ2年ほどはObsidianというマークダウンエディタを使っています。PCでもスマートフォンでも使えるので。使いこなしているとはいえませんが。

ここ、はてなブログに書き込むことは、だいぶ減ってしまいました。しかし、それでもまだしばらくの間は書き続けるでしょう。

本当は、もっとバリバリ書いて、更新したい。多数の読者を得て、承認欲求を満たしたい。

そんな思いはあるのやら、ないのやら。

少なくともいまの私には、他の人と結ばれよう、という欲が薄いように思われます。

もしかすると、根っこの方に煮えたぎるものがあるのかもしれませんが。

というのも、べつにわたし自身と結びつきたいだけなら、非公開で書き続ける、なんてこともできたでしょうから。

でもまあ、いいでしょう。そこのところは。

わたしは例によって迷子になりました。この話を終わらせるやり方がわからなくなりました。

わからなくなったので、そういう時に使ってきた方法を、今日も使います。つまり、わからなくなってしまったことに言及したあと、強引に話を打ち切ります。

というわけで、おしまいです。