白昼夢中遊行症

断想

いつのまにか、朝ごはんを食べる習慣は無くなったのよな。もともとは、朝ごはんを食べないのはよくない、という世に蔓延る言説を真に受けて、朝ごはんを食べないなんて考えられない! という考えだったのだが。

しかし、それと引き換えか、朝起きたらマグカップ2杯の牛乳を飲む。そんな習慣を、もう5年以上は続けている。これが「朝ごはん」といえばそうなのかもしれない。

元々はパンを食べていた。そういう家庭だったからだが、パンはそこまで好きではないのかもしれない。朝からパンが食べられるぞ、やったー、とはならないからな。かといって、米であったとしても、嬉しくはないかな。

なんだったら嬉しいだろうか。味噌汁とか?
味噌汁ならいいかな。朝から味噌汁。嬉しいよな。味噌汁でなくても、汁物は嬉しいのかもしれない。

いや、そうでもないか。コーンポタージュとかは、あんまり嬉しくない。甘いものが嫌なんだろうか。

しかし、朝から飯を食うくらいなら、眠っていたい。味噌汁なら迷うが、そうでなければ眠りたい。別に眠りたくもないが、このところ夜更かし気味なので。

夜更かしはあんまり良くない。睡眠時間が確保できるならいいのだが、夜更かしで寝不足。これは良くない。

おれは人間である以前に、動物である。不眠不休の動物もいるのかもしれないが、だいたいの動物は眠るものだと聞いている。だったらおれも、眠らないとな。

しかし、なぜこんなにも夜更かしなんだろうか。別に、その日にやらないといけないことがある、というわけでもない。

いや、そういうときもある。
だが、いつもそうというわけではない。

眠る段になって、色々と思いつくのだ。食事とか、風呂とか、そういう面倒ごとが済んであとは眠るだけ。考えてみれば、そんな状況にあってどうして何も思い付かないでいられるだろうか。

そして、思いついたらそれを実行、とまではいかないまでも、少なくともメモは取っておきたい。しかし、ひとつの思いつきが、ひとつまたひとつと、さらに新たな思いつきを生む。そうなるともう、キリがない。こうしていると、そりゃあ、眠れない。

だが、こうした思いつきを、大事に持っておく必要はあるのだろうか?
おれは人間である以前に動物だ。
不眠不休の動物もいるのかもしれないが、大半の動物は眠るものだと聞いている。
それと引き換え、何かのアイデアとか、明日の予定とか、後悔とか不安なんてものは、人間のものだ。

人間は動物ではないのだから、考えて行動し、何か不満があるなら言葉で示しなさい。なんて言われたことがたったっけ。
おれは言葉よりも先に手が出るタイプだった。
しかし、教育の結果、言葉も手も出なくなった。

おれはじっと耐えているだけ。奪われる側の人間になってしまった。
奪われる側の人間よりも、奪う側の人間が承認される世の中で、いまのおれは生きづらい。
そしてますます、いろいろなものを奪われ、それを身じろぎもせず、耐えているだけ。

で、なんの話?

なんの話だったっけ?

夜更かしは良くないよな、という話だったっけ。
いや、そもそもは朝ごはんの話だったか。

朝ごはん。
動物は朝起きて飯なんて食わない。
いや、どうなんだろう。

しかし、食べられるものがあれば、奪われる前に食べてしまわないと。
食べ物を目の前に残して眠ることなんてしないだろう。
そして、そのようにして眠ったなら、朝起きてそこに食べ物があるわけではない。

こうして考えると、朝から何かを食べるなんてのは、人間がやりだしたことなのかもしれない。
知らんけど。
おれはとにかく思いつくままにしゃべっている。

なんでこんな話になっているんだ?
おれは考古学者でも、生物学者でも文化人類学者でもない。

ただ、おれは朝ごはんを食べない。
それだけの話。
牛乳は飲む。
そういう話。

今週のお題「朝ごはん」