白昼夢中遊行症

断想

「今日は何もない一日でした」

そんなわけはない。病気をしていない限り。本当に、何にもない日々を過ごしていた時期が、おれにもあるにはあったけれど、起きて、活動している限り、何もないことなんてない。

だというのに、何もないと感じるのは、今日起きたことに、ちゃんと目を配っていないか、目を配ってはいるが、無視しているかのどちらかだ。そして、どちらかというと無視しているようなケースのほうが、厄介だ。

単に目配りが足りないのであれば、もっと注意深く生きればよいだけの話だ。しかし、無視してしまうのは、目に入ってきたものごとの、価値を認めていないからだ。価値のないものごとに、いくら出会したとて、心は一つも動かない。

心は動かさなければ、ますます硬直していく。何事にも無感動・無関心を決め込むようになる。次第に加速していく日々のもろもろ、漫ろに過ぎゆく日々、ボロボロになって気づいた頃には終わってく人生、そんな奴がゴロゴロいるこの時代、稀代の天才、浅才非学、科学が後押しする戦災のウクライナパレスチナ、これ家常なれば、この先に希望を持てないのも宜なるかな

加速せよ、加速せよ、加速せよ、アレグロ・マ・ノン・トロッポ、加速せよ、ヴィヴァーチェ、加速せよ、加速せよ、プレスティッシモ。

加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ 加速せよ

いや、レントより遅く。