白昼夢中遊行症

断想

おれは夜眠れないのか、眠らないという決断を知らず知らずのうちに下しているのか。もはやなんだか分からなくなった。うんざりするような日々の反復。日が昇るころに眠り、バイトの時間に起きる。たとえシフトが日付をまたいでいなくても、それで早く眠れるなんてことはなく、まず家に帰って眠りにつく気にならない。バイトしかなかった一日というのを認めたくないのだ。何かしなければという強迫的な観念が、おれを覚醒させる。そもそもの生活リズムの乱れというのもあるだろう。しかし、生活リズムを是正しなければならないと思っているのにもかかわらず、今日はまだ眠るわけにはいかないと考えて、眠らないという決断を下してしまうのは、意志に反した意志を持ってしまい、それに従った決断を下してしまうという点で、それは眠れないというのではないのか。

自分が何を言いたいのかよく分からないが、とりあえず、あいも変わらず夜に眠ることができない。かといって、何か自分のためになることをしているのでもないのだが。

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もし、明日世界が終わるとして、おれはそんなこと気にもかけずに、いつもと同じ繰り返しをなぞるだろう。世界が終わるにしても、終わらないにしても、そこになんの違いがあるのか。どちらにせよ、おれにとっての日々は、最初から最後まで無意味なものだし、その最後がどこであろうと、その無意味さには変わりない。

世界の終わりに直面したとき、人は世界の終わりそのものを見据えているのではなく、それを鏡として反映した自分の姿を見ているのだ。そして、大体の場合には、その像はいやに歪んでいる。おれが思うに、世界が終わるということについて人々が恐れているのは、もしも自分だけが生き残ってしまったら、ということだ。そして、そうした懸念のなんと自意識過剰なことか。

それに、世界が終わるということは、この無意味な世界が、ついに本当に無意味であったと明らかになるということだ。これを喜ばないでいられるか。そして、自らの人生の無意味もまた、この世界と心中することで、同じように揺るぎないものにすることができる。

そんなことをあてもなく考えていた。