白昼夢中遊行症

抑うつの秋

吹く風が、肌寒く感じたら秋だ。当たり前だ。気づけば、もう10月になろうとしているのだ。おれは比喩ではなく、実際に終わらない夏休みに入ろうとしている。子供のわがままで、無理やりに引き伸ばされた夏。おれが夏休みから抜け出すことができるのはいつのことになるのか。あるいは、その時がくるのをおれは望んでいないのかもしれない。いつまでもこのままで、夏休みが終わらないで欲しいと願う子供のままでいることが、おれの本望なのかもしれない。おれは子供であるおれが好きだ。あくまでもその若さだけを好きでいる。心身ともに老いてしまえば、おれはすぐさま死を望むだろう。そんな気がしている。おれが苦痛の中でも生きているのは、若いからだ。苦痛を感じるのも若いゆえなのだが。おれは大人に反感を持つおれを愛する。おれは子供扱いを嫌うおれを愛する。おれは大人になりたがるおれを愛する。おれは大人になりたくないおれを愛する。おれはおれを嫌うおれを愛する。おれは……おれの若さを何よりも愛しているからこそ、この生に意味を見出しているのだ。それが、若さゆえの悩みから脱してしまえばどうだろう、おれを形作っていたものはあっけなく崩れ去る。心の拠り所がなくなってしまう。それどころか、おれが何者なのか、わからなくなってしまう。おれは若いからおれなのだ。そして、それ以外のおれに、おれ自身を見出すことができない。これも若さといえばそうなのだろう。では、大人になるとはどういうことだ?今のおれはどうなるのか。それが非常に怖いから、おれは夏に止まってしまったのだ。そんな気持ちの中で、抑うつの中で、季節は秋を迎えた。

 

これは去年の今ぐらいの時期に書いた日記だ。抑うつの秋、というのはそれにつけていたタイトルだ。去年、ぼくは大学を休学することにして、あたかも自分だけ終わらない夏休みに入ったみたいだった。それは一つ肩の荷が下りたようでありながら、決して気楽なものではなかった。つねに何かに追われるような気持ちでいた。つねに憂鬱な気持ちで過ごした。普通の人ならば、つらいと思いながらもやれていることができない。これは自らの負い目になっていた。そんな感じのなかで書いていたような気がする。よく覚えていないが。

よく覚えていないというのが大切で、いちいちくよくよしていたら生きてなんていられないのだ。そういう世の中だと思う。そして、おれはそういう世の中に生きていける気がしないし、だいいちそんな世の中で生きていたくない。

過去にとらわれて何が悪い。前に進めなくて何が悪い。そういう生き方を許容しないような世の中で、妥協して生きていくのはいやだから、おれはいずれ死ぬことに決めている。自殺を自分のなかに携えることで、生きているのだ。そうでもしないと、この世界との矛盾を解決できないのだ。

おれだけは、時間に、この世界に取り残されて、進歩と、成長と無縁の人生を、いや、時の流れがないのだからもはや人生ではない何かを生きる。そういうつもりだ。