白昼夢中遊行症

断想

なんだかやるせない気持ちになって、泣き叫んでやりたいと思うが、そうはいかない。それは正しい反応ではない。少なくとも、ほめられた反応ではない。

自分に同情してはいけない。自分に同情するのは下劣な奴のすることだ。負け犬の根性だ。自己憐憫の甘い蜜に浸るというのは、偽りの慰めだ。偽りの慰めでも、それで気が休まるならそれで良いのだ、というやつがいるかもしれない。そうだよな、おれたちが正しいことをしないといけないなんてことを正当化する根拠はない。偽りの善によって照らされた幻の世界を生きてはいけないなどと、どうしてそれをもっともだとのたまうことができようか。おれたちはいつでも最後には勝たねばならないのか。しかし、勝者の傍らにはかならず敗者がいる。表と裏、光と陰の関係だ。そこに非対称性は入り込まない。かならず差し引きゼロになる。皆が勝者になれないのなら、誰も敗者として虐げられない道を選ぶべきではないのか。比べなければ誰も負けることはないのだ。しかしこのようなことを言えば、「負け犬の理屈だ」と声がする。言わせておけ。てめえが勝手におれと比べて、おれが劣っていると罵ったって、相手にしなけりゃただの妄言だ。比べないのがいちばんだ。戦わないのがいちばんだ。たとえ負け犬だと罵られても、その挑発に乗らなければ、おれは負け犬ではない。