白昼夢中遊行症

2019-01-01から1年間の記事一覧

断想

バイトはもういいや、と思いつつも金に目が眩んでしまう。 かつて自分にとってバイトは給料を得る以上のものを求めていたし、実際にそれを得られていたように感じていたが、今はそのようなことはない。ただただ面倒なだけで、しかし金が必要で、金をもらって…

断想

今日こそは本当に日記を書くぞ、と思ってこの文章を書き始める。などといった書き出しのメモが何日分も積み重なって、それは月に届きそうなくらいだ。 もはや今までの自分がどういう風に日々を日記として書き残していたか忘れてしまった。そもそも書き残すほ…

断想

このブログというか、日記を書くにあたって決めているのが、できるだけ自分の中の真実に近いものを写し取ることである(自分の中の真実というのは何なのだろうか、というのは一旦置いておいて)。だから、自己欺瞞によって正常な人間のうちに溶け込もうとし…

平成の思い出?

今週のお題「平成を振り返る」 気がつけば、四月ももう終わりで、平成ももう終わりで、平成に何か思い入れがあるかといえば、ぼくは平成に生まれたのであって、それしかぼくは知らないので、これといって平成と関連づけられた思い出なんてなくて、そもそもぼ…

人の悪口というのはたとえささやかなものであっても、自分のあさましい本性をみずから開示する。ということを身をもって学ぶ。

bounoplagia.hatenablog.com この文章をあげつらって。 だれかの悪口を書いていると、いつの間にかそこに書かれたことが自分に対して書かれたものになっている。いわゆる自己紹介乙ってやつだ。 おれはうるさくはないが、自分の望みが叶うなら、他の人間がど…

断想

ここ数日の雨続きで、すっかり桜の花は落ちてしまった。だけどその代わりに若い緑の葉がつきはじめて、まだ黄味がかったその色は、まだ少しだけ残っている桜の花とともに青空を背景にして、にぎやかな色合いでぼくの大学までの道のりを飾りつける。 大学の講…

断想

駅地下の非常階段に腰を落ち着けて、缶チューハイを飲む。電車に乗って帰って行く人たちの声を遠くに聴きながら、この世界に馴染まないのは彼らか、それともぼくの方かなどということを考えていた。 ときおりぼくのいるところを通って、階段を登る人たちは、…

断想

今日は朝の8時には目を覚ましたが、二度寝、三度寝を繰り返し、布団から出たのは11時だった。室温は18度ほどで、もう寒いとは思わないが、体は冷えて動かないので、いつも温水のシャワーを浴びてから活動を始める。ガス代と水道代がかさむ。 ぼくが二度寝す…

断想

考えないようにするために一番手っ取り早いのは、自分であるという意識をすっかり無くしてしまうことだ。 どういうことかというと、現前する物事に対して自らを一切反映せずに、それらをあるがままに受け入れるということ。それも自分の得た感覚としてではな…

断想

おれの心はまともかまともでないかでいえば、間違いなくまともではないだろう。しかし、だからといって社会生活を送ることが不可能かでいえばそうでない程度のものだろう。そして、その信念があるからこそ、おれはこの、ぎりぎりの一線でまともな社会的人間…

断想

夜に眠れるようになったといっても、それだけで人生が良くなるわけではないし、もう二度と眠れない夜に出会うことがなくなるというわけでもない。最近ぼくは、考えないようにしている。何も考えず、ただ現前する物事にその通りの反応を返しているのみだ。考…

断想

最近、何か書こうと思うことがない。たとえ書くことがなくても、ノートやワープロに向かえば、何らかのことは書けるのだ。日々の区別がないほど均質な日々、というのは誇張で、日々の区別はつくし、語るべきことのない日などというのはほとんどない。語るべ…

夏休みのおわりに

カーテンを開ければ外が明るくて、部屋の明かりをつける必要がない。外に出れば、太陽の光はまだぼくの目には眩しくて、目に映るものはみな鮮明に、それぞれの色が生き生きと感じられ、すこし驚く。世界がこんなにも色鮮やかであったことを思い出す。 三月が…

温かいルイボスティー

つい先日、暖かい日があったと思えば、また一気に冷え込んだりするのがこの季節の嫌なところだ。雨がしとしと、まるで梅雨どきのように降り続く日々。これにもうんざりさせられる。 寒いとき、しかしエアコンをつけるほどでもないとき、おれは茶を飲んで暖を…

断想

歩いていると、いきなり地面が解けるような錯覚に陥ることがある。目の前の景色がぐにゃりと歪んで、立つことがおぼつかなくなる。そういうとき、だいたいの場合はろくなことを考えていない。ぼくはいつもろくなことを考えていないので、こうしたことはよく…

ひさびさに酒に飲まれた

酒飲んでゲロ吐いた。その気持ち悪さを引きずって今日という一日は過ぎ去っていった。 おれは飲み会というのがあまり好きではない。飲み会ってのはたいていが飲み放題で、飲み放題というのはなにか酒というものが軽視されているというか、酒をじっくり味わう…

言葉に詰まる夜がある

おれはひとりだ。そうなるのを望んだのは、ほかでもないおれ自身なのだけれど。時々すごく寂しくなる。おれが自ら距離を置いたいくつかの場所に、もう帰ることはない。 今のおれに帰る場所というのがあるのだろうか。実家はそうかもしれないが、なんだか実家…

断想

日記の書けない日々が続いている。 五〇年二月 記憶が次第に逃れ去る。日記をつけることを決意せねばならぬだろう。ドラクロワのいうことは正しい。日記につけ落された日々は存在しなかったも同然であると。きっと四月にはぼくに自由が戻ってくるだろう。 『…

断想

おれは夜眠れないのか、眠らないという決断を知らず知らずのうちに下しているのか。もはやなんだか分からなくなった。うんざりするような日々の反復。日が昇るころに眠り、バイトの時間に起きる。たとえシフトが日付をまたいでいなくても、それで早く眠れる…

花粉症者の春

春という季節は本来、散歩に適した季節だというのに、花粉症のために、ぼくは何かから逃げるような生活を強いられる。なるべく外出しないようにして、外に出るときは帽子とマスクをして、化繊のジャケットを着る。春の暖かい空気を胸いっぱいに吸い込むこと…

断想

二月二八日 部屋で微睡んでいると、呼び鈴に呼び覚まされた。amazonからの荷物を受け取った。なにか夢を見ていた気がするが、思い出せなかった。ふたたびベッドに横になり、夢の続きを見ようとしたが、すでに意識は覚醒しきっていた。 三月一日 いつのまにか…

夏休みの終わりに

ぼくの夏休みがいよいよ終わろうとしている。去年、大学を休学するということで無理やりに引き延ばされた夏休みが、あとひと月もすれば明けて、ぼくは再び大学に通うことになる。 今日、およそ半年ぶりに大学へ行った。カウンセラーの人と、これからどうする…

葦舟ナツ『ひきこもりの弟だった』を読む

たまには背伸びしないで気楽に読める本でも、と思い手に取ったのがこの本だった。 この本の帯には、「この本を読んで何も感じなかったとしたら、それはある意味で、とても幸せなことだと思う」といったことが書かれていた。 ぼくはどうだったか。何か感じた…

倦怠の春

倦怠感。しかもこれはいつも感じているものではなく、季節によるものだ。花粉症によるものだ。それがなければ今日は調子のいい日だった。花粉症による倦怠感が、それを覆いつくして余りある程度の調子のよさではあったが。 どんな季節にもそれを嫌う理由があ…

立ちつくす僕

ぼくはどうしようもなく子供だ。体ばかりが大きくなってしまった。ぼくは物心ついた頃から足踏みしている。ぼくはなぜ、ここに立っているのか。ここに立っているのが、どうしてぼくでなければならなかったのか。そんな問いかけを二十余年、うんざりするくら…

断想

自死の誘惑が押し寄せてきては、いろいろなものを奪い去っていく。もはやまともに生きていく希望もないし、その気もない。おれを取り巻くすべての人はおれに憎しみをいだくばかりか、おれを見て見ぬふりをする。おれはさいきん被害妄想ばかりしているし、と…

無為に過ごす休日、少し先の不安と生きることのもの悲しさ

12時に目を覚まし、飯を食べに行く。帰ってきて、本を読んでいるといつのまにか眠っていた。 再び目を覚ますと19時だった。体に残る倦怠感を振りほどいていたら、21時になっていた。スーパーに食材を買いに行く。しかし何か料理するのも面倒で、半額の総菜と…

断想

曇り空の毎日のなかで、たまにあらわれる晴れ間は、はやくも春の到来を告げていた。今日はまさに散歩日和の暖かさで、ぼくはひさしぶりに外をまともに歩いた。散歩といっても、目的なくぶらつく、ということがどうしてか苦手で、いつもいつの間にかどこかの…

書くことについて

ブログなんてものをやってはいるが、おれは文章を書くことが大の苦手で、宿題で読書感想文なんかが課されたときも、なんやかんやで何も書かずにやり過ごしてきたたちだ。 そんなおれがどうしてブログをやっているんだろうかと、ふと思うことがある。文章を書…

「この街は死んでいる」

二月十二日 雲は晴れて太陽と青い空があらわになっていた。ぼくは眩しい日差しに目を伏せて、いつもの商店街へ歩いていた。 商店街のアーケードに入ると、大学生くらいの男三人組が古い映画のポスターなどのある店から出てきた。 横並びに歩いて邪魔だなと思…